大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成6年(ワ)22732号 判決

原告

A

右訴訟代理人弁護士

横内淑郎

被告

明治生命保険相互会社

右代表者代表取締役

波多健治郎

被告

第一生命保険相互会社

右代表者代表取締役

櫻井孝頴

被告

朝日生命保険相互会社

右代表者代表取締役

若原泰之

右三名訴訟代理人弁護士

上山一知

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、各自金二〇〇〇万円及びこれに対する平成六年八月三日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(一)  原告は、被告明治生命保険相互会社(以下「被告明治生命」という。)との間で、平成五年一二月一日、次の約定により特定疾病保障定期保険契約を締結した。

保険契約者 原告

被保険者 原告

特定疾病保険金受取人 原告

保険金額 二〇〇〇万円

証券番号 三七―九二一一五四

(二)  原告は、被告第一生命保険相互会社(以下「被告第一生命」という。)との間で、平成五年一二月一日、次の約定により特定疾病保障定期保険契約を締結した。

保険契約者 原告

被保険者 原告

特定疾病保険金受取人 原告

保険金額 二〇〇〇万円

証券番号 九三一二組第〇一五七四七―三号

(三)  原告は、被告朝日生命保険相互会社(以下「被告朝日生命」という。)との間で、平成五年一一月二四日、次の約定により特定疾病保障定期保険契約を締結した。

保険契約者 原告

被保険者 原告

特定疾病保険金受取人 原告

保険金額 二〇〇〇万円

証券番号 二九四―九八一五〇

2  右各保険契約(以下「本件各保険契約」という。)の約款(以下「本件各約款」という。)によれば、被保険者が、保険期間中に、初めて所定の悪性新生物に罹患したと医師によって病理組織学的所見(生検)により診断が確定されたとき、被告らは特定疾病保険金受取人に対し、約定の特定疾病保険金額を支払うべきものと規定されている。

3  原告が、平成五年一二月三日、日本医科大学付属病院(以下「日本医大病院」という。)の泌尿器科において受診したところ、同科の医師により右睾丸腫瘍が発見され、同月一〇日、これが病理組織学的にみて奇形腫である旨の診断が確定された。

4  本件各約款の解釈について

(一) 本件各約款は、被保険者が、保険期間中に初めて、医師により悪性新生物との診断が確定された場合を規定していると解釈するのが相当である。

(二) 原告の右疾病は、本件各約款所定の「悪性新生物」に該当する。

すなわち、原告の右疾病は、臨床的には右睾丸腫瘍であり、病理組織学的には成熟奇形腫(以下「本件疾病」という。)である旨診断が確定されたところ、原告のような青壮年者の成熟奇形腫は、そこに他の悪性成分が混在し得る上、一五ないし二〇パーセント程度の確率で、将来他臓器への転移を伴うなどの潜在悪性の危険性もあるため、病理学的にみて積極的に良性であるとの判断は行わず、また、臨床医においては、これを全て悪性として取り扱い、悪性新生物に対する治療と同様の治療を施すから、本件疾病は、本件各約款にいう「悪性新生物」に該当するものである。

本件各保険契約において、悪性新生物に罹患したときの保障特約を付している理由は、主としてその治療に時間と費用が掛かるというものであるが、そうすると、本件疾病が、本件各保険契約の対象から除外されると解すべき根拠はない。

なお、被告らは大手の生命保険会社であり、本件各保険契約の標準約款の作成に関与したはずのところ、本件訴訟の最終段階に至って、初めて、本件疾病が悪性新生物に該当するかどうかという新たな争点を提示してきたことなどに照らすと、本件疾病が本件各約款所定の「悪性新生物」に該当することは、運用上何ら疑問視されていなかったものであり、被告らの右争点の提示は、単なる逃げ口上にすぎないというべきである。

(三) したがって、本件疾病が、本件各約款所定の保険金支払事由に該当することは明らかである。

5  原告は被告らに対し、平成六年八月二日到達の書面をもって、それぞれ保険金二〇〇〇万円の支払を催告した。

6  よって、原告は被告らに対し、本件各保険契約に基づき、各自二〇〇〇万円及びこれに対する催告日の翌日である平成六年八月三日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び反論

1  請求原因1ないし3の各事実は認め、同4(本件各約款の解釈)は争う。同5の事実は認める。

2  本件各約款の解釈について

(一) 一般に、保険金は保険契約成立時に既に発生している「保険事故」に対し、支払われるべきものではないから、本件において、特定疾病保険金が支払われるのは、被保険者が保険期間中に初めて悪性新生物に罹患した場合に限ると解すべきであり、責任開始前に既に右疾病に罹患していた場合を含まないというべきである。そして、原告は、本件各保険契約を締結した直後に、本件疾病である直径約三センチメートルの右睾丸腫瘍が認められる旨の診断を受けているところ、この程度の大きさの腫瘍が数日間のうちにできることはあり得ないから、原告は、保険期間の開始前に既に本件疾病に罹患していたものであり、したがって、本件疾病が、特定疾病保険金の支払事由に該当しないことは明白である。

(二) また、本件疾病は、たといこれに潜在悪性の危険があろうと、病理組織学的に悪性である旨診断が確定されたものではなく、本件各約款所定の「悪性新生物」には該当しない。

なお、右攻撃防御方法の提出が遅れたのは、主治医の診断書に「病理組織検査でも悪性所見を得た」旨の記載があったことなどによるものであり、やむを得ないものである。

(三) よって、本件疾病は、本件各約款所定の保険金支払事由に該当しないものというべきである。

三  抗弁

1  詐欺による無効

原告は、本件疾病の発病を知り、又は少なくとも右発病を確信させる程度の当該部位の異常を認識していたにもかかわらず、保険金を詐取するため、本件各保険契約の申込みに当たり、被告らに対し、本件疾病の発病又はその自覚について何ら告知せず、被告らにこのような事実がないものと誤信させ、もって本件各保険契約を締結させた。

原告の右行為は、本件各約款に定める詐欺行為(被告明治生命との間の約款二二条、被告第一生命との間の約款一四条、被告朝日生命との間の約款一三条)に該当するので、本件各約款の定めに従い、本件各保険契約は当然無効というべきである。

2  公序良俗違反による無効

特定疾病保険は、いわゆる三大成人病に罹患したときの治療費の保障を主たる目的とする保険であるところ、本件各保険契約及び同時期に申し込まれた他の特定疾病保険契約の保険金額は合計一億円に達しており、これは、この種の保険金額としては異常に高額である。したがって、右事実に、前記1記載の事実を併せ考えれば、本件各保険契約は、同時期に申し込まれた他の特定疾病保険契約と相まって、不法な利得を得る目的で締結されたものといわざるを得ず、公序良俗に反し無効である。

3  告知義務違反による解除

原告は、前記1記載のとおり、本件各保険契約の締結に当たり、被告らに対し、本件疾病につき告知すべき義務があり、本件各約款には、原告が右告知義務を怠った場合には、被告らは本件各保険契約を解除し得る旨の約定が存するところ、原告は、故意又は重大な過失によって右告知を怠った。そこで、被告らは原告に対し、平成六年七月七日到達の書面をもって、本件各約款に従って本件各保険契約を解除する旨の意思表示をした。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実はすべて否認する。

理由

一  請求原因1(本件各保険契約の締結)、2(本件各約款の文言)、3(原告の疾病)及び5(保険金支払の催告)の各事実は、当事者間に争いがない。

二  請求原因4(一)(本件各約款所定の「被保険者が、保険期間中に、初めて所定の悪性新生物に罹患したと医師によって病理組織学的所見(生検)により診断が確定されたとき」の解釈)について、以下検討する。

本件各約款の文言、本件弁論の全趣旨によれば悪性新生物に初めて罹患した具体的日時を特定することが医学的に困難である旨認められること、悪性新生物と並んで特定疾病保険金の支払対象となっている急性心筋梗塞及び脳卒中については、その支払事由として「責任開始時以後の疾病を原因とする」旨約款に記載され、悪性新生物に罹患した場合とは明確に区別して規定されていること(乙二の1ないし3)等に照らすと、本件各約款所定の保険金支払事由は、被保険者が、保険期間中に初めて、医師により悪性新生物との診断が確定された場合をいうものと解するのが相当である。

被告らは、本件各約款の解釈につき、被保険者が保険期間中に初めて悪性新生物に罹患した場合と解すべきであって、責任開始前に既に右疾病に罹患していた場合を含まないなどと主張し、これに沿う被告ら従業員の報告書(乙二七の1ないし3)も存在するが、右主張は独自の見解に立つものであり、また、右各報告書の記載も前記認定、判断に照らし、いずれも採用することができない。他に被告ら主張の右約款の解釈を是認するに足りる的確な証拠はない。

三  請求原因4(二)(本件疾病が、本件各約款所定の「悪性新生物」に該当するかどうか)について、以下検討する。

1  まず、本件各約款にいう「悪性新生物」とは、証拠(乙二の1ないし3の各別表)によれば、悪性腫瘍細胞の存在、組織への無制限かつ浸潤破壊的増殖で特徴付けられる疾病であり、かつ昭和五三年一二月一五日行政管理庁告示第七三号に基づく厚生省大臣官房統計情報部編「疾病、傷害および死因統計分類提要」昭和五四年版(以下「分類提要」という。)の基本分類表番号に規定するものと定義付けられていることが認められる。

そして、分類提要第一巻によれば、睾丸の悪性新生物の分類番号は一八六であること(同書一三六頁)、腫瘍学のための国際疾病分類は、右番号のような局在部位コードのほかに、悪性、良性等の新生物の性状を区分するとの視点から形態分類コードを定め(同書三〇頁)、その形態番号の五桁目によって新生物の性状を表しており、悪性(原発)の新生物を「/3」と規定していること(同書一五八頁)、睾丸の悪性新生物(局在番号一八六)は、形態分類コードにおいては、その五桁目において「/3」と評価されるべきものであること(同書一五九頁)が認められ、右認定事実によれば、本件疾病を、本件各約款所定の「悪性新生物」というためには、右形態番号の五桁目において「/3」と評価される必要があると解される。

2  そこで、次に本件疾病の性質についてみると、証拠(甲一二、乙一八、三三、三四)によれば、睾丸奇形腫は、成熟、未成熟、悪性化の三種類に分類されていること、成熟型は、一般に良性に経過することが多いものであるが、若年成人の成熟奇形腫については、そこに他の悪性成分が混在し得るほか、間質として見過ごしやすい部分に悪性胚細胞成分が存在したり、検索の及ばぬ部位に胎児性癌や卵黄嚢腫瘍が存在したりするため、潜在悪性の可能性が少なくなく、病理組織学的にも積極的に良性である旨の判断はなされないこと、本件疾病は、四種類の免疫組織学的検査のうち三種で陰性の結果が出たものの、癌胎児性抗原(CEA)の検査結果に関し、潜在悪性の可能性が否定できなかったことの各事実が認められる。

しかしながら、他方、証拠(乙一八、三三)によれば、右の病理組織検査の結果によっても、本件疾病が悪性である旨の決定的所見は結局見当たらなかったこと、成熟奇形腫は、前記の形態分類コードにおいて「M9080/1」と規定されており(乙一八の本文二頁)、その五桁目に「/1」とあるのは、良性・悪性の別が不詳な境界悪性のものと判断されるに止まる趣旨であること(分類提要第一巻一五八頁)が認められるところ、右事実に照らして考えると、前記認定事実から、本件疾病が、本件各約款所定の「悪性新生物」に該当すると認定することはできない。

なお、形態学的に境界悪性の新生物は、局在部位コードにおいて、性質不詳又は性質の明示されない新生物と分類され、その分類番号は二三五ないし二三九となる(分類提要第一巻一五九頁)が、これらは、本件各約款において「悪性新生物」に含まれてはいない(乙二の1ないし3)。

3  以上によれば、本件疾病は、本件各約款所定の「悪性新生物」には該当しないものといわざるを得ない。

証拠(乙一二、一三)によれば、本件疾病につき、主治医の「病理組織検査でも悪性所見を得た。」旨の診断結果により、本件疾病が本件各約款所定の「悪性新生物」に該当するものと判断して本訴を提起した原告の心情は分からぬわけではないが、本件疾病が本件各約款所定の「悪性新生物」に該当するかどうかを定めるとなれば、やはり右のようにいわざるを得ない。他に右認定を動かし、本件疾病が本件各約款所定の「悪性新生物」に該当することを認めさせるに足りる証拠はない。

四  結論

したがって、本件疾病が本件各約款所定の「悪性新生物」に該当することを前提とする原告の本訴各請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由のないことが明らかである。

よって、原告の本訴各請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官永吉盛雄 裁判官山田陽三 裁判官松井信憲)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例